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絶望のニセ法主 PDF 印刷 Eメール
作者: The Lion King   
2009年 7月 14日(火曜日) 12:18
日顕一派の愚劣坊主が、あちこちで暴言を吐いている。
京都・平安寺の岡崎法顕は先月末、女性侮辱の発言を連続。”嫁に行った以降は下り坂””シワシワになって世を去る”云々と、狂ったようにセクハラ話をやり、大顰蹙(ひんしゅく)を買った。
平安寺といえば、かつて日顕がいた寺。日顕は、ここの初代住職に就くや、「祇園に行きたい」と言い出し、以来、札付きの遊び人で通っている。
芸者遊びだけは”不惜身命(ふしゃくしんみょう)”の、汚らわしい放蕩法主。その子分が狂うのも当然である。
さて、相承の証拠も出せず、それが原因で裁判で惨敗を喫した日顕の心中は、今や真っ暗闇のようである。
「支配欲のある者」が、もし帝王になれなかった場合、どうなるか?哲学者・キルケゴールは書いている。
「彼は帝王にならなかったが故に、彼自身であることが耐えられない」「(彼は)帝王にならなかった自己自身に絶望しているのである」(『死に至る病』斎藤信治訳、岩波文庫)。
まさに、”法主になれなかった”自己自身への絶望が、日顕の放蕩や相承詐称や信徒への嫉妬に拍車をかけているのだ。
「自己自身から脱け出ることができないということが彼には耐えられない」(同)
どう繕っても、放蕩を重ね、血脈を偽った自己自身から脱け出られない。逃げられない。この耐えられない業苦が、(キルケゴールとは似て非なる下劣な意味での)「死に至る病」のごとく日顕の命根(みょうこん)を苛(さいな)んでいる。
宗内からは「あんな奴は歴代法主から除歴だ」というヒソヒソ話も聞こえてくる。もはや生きている甲斐もない、ああ絶望のニセ法主。
<聖教新聞-「破邪顕正」(文・落合幸弘)2003.02.08 より>
最終更新 2009年 7月 15日(水曜日) 09:31
 

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