|
作者: The Lion King
|
|
2009年 9月 28日(月曜日) 21:26 |
漢字の「聞」「聴」は、きく側の態度によって使い分ける。自分からきく場合は後者、自分に音声が入ってくる場合は前者。だから「きこえる」は「聴こえる」とは書かない▼昨今は「聴く」という行為が減っている感がある。話を聴かない、聴こうともしない人も少なくない。また親密な間柄の人に限って「もう分かっているから聴く必要はない」と決めつけてしまいがちだ
▼「聴」の字は、本来の字義とは別に字形から「『十四の心に耳を向ける』と読むことができます」―― 子どもの虐待防止プログラムを提唱し、その専門職を育成する森田ゆりさんは語る(「大白蓮華」9月号)。聴く作業は、相手の心を素直に受け止めること。それは子どもだけでなく、人間社会に不可欠である▼池田名誉会長はアメリカの哲学者マリノフ博士との対談で、「相手を尊敬し、心から耳を傾ける『対話』」こそ「『他者不在』と言われる現代社会において、一人ひとりが我が身にあてて実践していくべきこと」と訴える▼「聴」の旧字は「聽」。耳、壬、德(徳)の旁(つくり)で構成される。真っすぐ立つ人(壬)の上に大きな耳を加えて耳の聡明さを示し、「聡明の徳」をいう(白川静『字通』)。「聴く人」は、他者に共感する「聡明な人」である。(川) 聖教新聞 2009-9-28 より |