| 第29回 妙の三義 |
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| 作者: The Lion King | ||||||
| 2009年 10月 26日(月曜日) 00:00 | ||||||
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わが生命は偉大なり!
人間の生命は、計り知れない不思議な力を持っています。 仏法は、万人に具わる偉大な仏の力用を引き出す大法です。 私は広宣流布の闘士として、誰もが持つ生命それ自体の偉大な力を触発し、地球上に幸福と平和の花を咲かせゆくことを願って、行動してきました。 モスクワ講演15年 三十五年前の一九七四年(昭和四十九年)九月、私が初めてロシア(旧ソ連)を訪問したとき、「宗教否定の国になぜ行くのか」と問われました。私は、「そこには同じ人間がいるからです」と即答しました。 同じ人間として、わかり合えないはずはない。友情を結べないはずがない。 これが、仏法の人間主義に生き抜く私の信念であり、結論です。平和への道も、人類の発展も、一切は人間に始まり人間に帰着するからです。 以来、日ロ友好の橋を大きく結んできた私は、十五年前(一九九四年)の五月には、モスクワ大学で「人間──大いなるコスモス」と題し、二度目の講演を行いました。 ソ連邦の崩壊(九一年)後の激動の社会を毅然(きぜん)とリードされゆくロシアの第一級の学識者や、瞳凛々しき学生たちを前に論じたのが、日蓮大聖人の仏法の「妙の三義」であります。 この時は、「妙」の一字に込められた哲理を、「規範性」「普遍性」「内発性」という観点から語り、自身の内面の価値に目覚めた人間こそ歴史転換の鍵を握ることを論じました。 今回は、この「妙の三義」を、私たち信仰者の実践と人生に即し、学んでいきましょう。 「妙とは不可思議」 この「妙の三義」は、大聖人が「法華経題目抄」で示された甚深の法門に基づきます. 万人を成仏に導く法華経の題目──南無妙法蓮華経の「妙」の字に込められた功力を、①開く義②具足・円満の義③蘇生の義、という意義に集約なされたものです。 第一に、大聖人は「妙と申す事は開と云う事なり」(御書943ページ)と仰せである。 「開く」義とは、法華経こそが諸経の蔵を開く鍵である──すなわち、仏教の大目的である一切衆生の成仏の道を開く唯一の経典であると明かしています。 妙法には、九界の現実の人間生命に秘められた仏界という胸中の宝蔵を開き、万人の生命に伸び伸びと躍動させていく力があるのです。 第二に、「妙とは具の義なり具とは円満の義なり」(同944ページ)であります。 「具足・円満」の義とは、法華経の題目は「根源の一法」であり、あらゆる価値、あらゆる功徳が、完全に収まっていることを明かしています。 「譬えば大海の一渧(いったい)の水に一切の河の水を納め」「秋冬枯れたる草木の春夏(しゅんか)の日に値(あ)うて枝葉(しよう)・華菓(けか)・出来(しゅったい)するが如し」(同ページ)と仰せのように、「妙」の一字には、あらゆる法と功徳が円満に具わり、漲(みなぎ)っている。 そして第三に、「妙とは蘇生の義なり蘇生と申すはよみがへる義なり」(同947ページ)です。 これは、いかなる衆生をも蘇生させ、成仏させることができるという妙法の無量無辺の功力を説いたものです。 爾前の経々では、二乗などは、成仏の種を炒(い)ってしまったようなもので、仏になれないと差別されていた。しかし妙法は、権経で「死せる者」とされていた人々の種も蘇らせ、広々と成仏の境涯へ導くことができるのです。 以上が「妙の三義」の大要です。すなわち、わが胸中の仏の大生命を「開く」。大宇宙に遍満する仏の大生命が、わが一念に「具足」する。そして凡夫の生命を仏の生命へ「蘇生」させる。この妙法の「大良薬」の働きを表しているのです。 天台大師も、「妙は不可思議に名くるなり」(同400ページ)と述べている。 私たちが唱える題目の「妙」の一字には、これほど絶大な功徳力があります。 唱題に励み、広宣流布に進みゆく我らの仏道修行は、まさにこの「妙の三義」を、わが生活・人生の上に晴れ晴れと現じゆく尊極の実践にほかならない。 ゆえに我らの信仰即人生には、絶対に行き詰まりはありません。どんな境遇にいても、必ず蘇生できる。宇宙の大法則に則り、すべてを円満に調和させながら、無限の活力をもって勝利を開いていけることは、御聖訓に照らし間違いないのです。 わが師・戸田城聖先生は、病気や経済苦と闘う、草創の関西の同志に師子吼されました。 「信心をする目的は、みんなが本当に幸福になるためです。我々の生活は、悩みの生活です。貧乏なものは裕福になり、病気の人は病気が治る。一家団欒して、この世を幸福に暮らすことです。そして未来永劫に幸福になるために、信仰するのです」 創価学会は仏の大連帯
民衆を救ってこそ この恩師の宣言の通り、妙法を持(たも)った友は、病魔を乗り越え、仕事で実証を広げ、一家和楽を実現し、何ものにも崩されない幸福境涯を開いてこられました。 あの「〝まさか〟が実現」と言われた「大阪の戦い」も、健気な庶民の人生の勝利劇こそが拡大の推進力となったのです。宿命の嵐に翻弄され、絶望の底にいた庶民に手を差し伸べてきたことこそ、学会の誇りです。 「妙とは蘇生の義なり」 創立の父・牧口常三郎先生が拝されていた御書をひもとくと、この一節に傍線が引かれています。 牧口先生・戸田先生が身読なされた、この御聖訓を抱きしめて、どれほど多くの庶民が立ち上がり、幸福を勝ち取ってきたことでしょうか。まさに、民衆を絶望の淵から蘇生させずにはおかぬ希望の御金言です。 不幸な民衆を救ってこそ、真の力ある宗教であり、生きた宗教である。学会こそ、「妙の三義」の功徳を体現した金剛不滅の仏の大連帯なのであります。 妙法の力用に包まれた人生
労苦に無駄はない 全部、意味がある 念仏の哀音を破折 ここで、本抄の時代背景を確認しておきたい。 この「法華経題目抄」は、文永三年(一二六六年)の正月、大聖人が安房国(現在の千葉県南部)で認(したた)められました。いまだ念仏に執着を持っていた女性に、力強く法華経の題目の大功力を綴られております。 「女人は法華経を・はなれて仏になるべからず」(御書948ページ)、「常に南無妙法蓮華経と唱うべし」(同941ページ)と明快に励まされているのです。 当時、念仏宗では、法華経を捨てよ、閉じよ、閣(さしお)け、抛(なげう)て(捨閉閣抛(しゃへいかくほう))と説いていた。 法華経という人間生命の尊厳性を説き切った大法を「捨閉閣抛」することは、実は自分自身の尊極の生命を「捨閉閣抛」することにほかならない。それでは、希望を捨て幸福の道を閉ざしてしまうばかりであります。 大聖人は、こうした人々の生命力を奪う邪説の哀音(あいおん)を、鋭く破折し抜かれたのです。 今日の時代相も、同様の風潮が色濃く現れています。 確かな哲学に目を閉ざし、小さなエゴに閉じこもりがちで、未来への希望が持てない青年も少なくない。人と人が織りなす交流の縁起を断ち切ることは、人生の豊かな宝を自ら「捨閉閣抛」することになってしまう。 「当世は世みだれて民の力よわ(弱)し」(同1595ページ)と、大聖人は慨嘆なされました。 生きる活力が弱まれば、新時代を創る息吹も生まれません。 いうならば、捨閉閣抛の悪弊(あくへい)ともいうべき閉塞感・虚無感を打破しゆく根本のエネルギーこそ、妙法なのです。
闇を打ち破る宗教 日蓮仏法は、どこまでも現実変革の宗教です。「妙の三義」に即して言えば、閉ざされた時代の闇を打ち破る宗教である。 すなわち── ①開く=はつらつと社会に飛び込み、人々の心を開きゆく「対話の宗教」です。 ②円満・具足=万人に具わる尊貴な生命を、共々に輝かせてゆく「信頼の宗教」です。 ③蘇生=いかなる壁をも打開し、永遠の幸福境涯を生き生きと築いてゆく「希望の宗教」なのです。 その偉大な実践者が、わが創価の同志の皆様であります。 人間は、人間の中でしか自分を磨くことはできません。人と交わり、人に学ぶ中でこそ、自分を鍛え、向上していける。 爽やかに、挨拶の声をかける。友の悩みに耳を傾ける。 それは、「必ず幸福になる仏の力が、あなたの生命の中に具わっています」との大確信を伝える対話です。 そして「何があっても、絶対に道は開けます」と勇気と希望を贈る励ましです。 「自他ともの幸福」を目指して進む、婦人部をはじめ学会の同志こそ、地域・社会における人間交流の太陽なのです。学会ほど、ありかたいところはありません。 日蓮大聖人は、病気と闘う富木常忍の夫人に対して、「尼ごぜんの御所労の御事我身一身の上とをもひ候へば昼夜に天に申し候なり」(御書978ページ)と仰せになられました。 この御本仏の大慈大悲に直結し、同志の悩みを我がこととして、真剣に祈り、励まし合う世界が創価学会です。 何かあれば、すぐに同志が飛んで来てくれる。自分の方が大変であっても、心にかけ、声をかけ、渾身の力で支えてくれる。菩薩の振る舞いです。いな仏そのものの心です。 インドの名門ヒマーチャル・プラデーシュ大学のシャルマ副総長は語ってくださいました。 「SGIは、この世界に永遠に続いていくべき団体であると私は信じます。なぜなら、創価の皆さんの世界への貢献は、誠実・希望・慈愛といった人間的な価値を、それを失った人々に蘇らせてくれるからです。破壊のためではなく、建設のためのエネルギーを贈ってくれるからです」 この秋から始まった「大座談会運動」も、砂漠のような社会に、対話と友情のオアシスを広げゆく、学会の〝本流〟というべき大前進であります。 全国の同志、なかんずく地区部長・地区婦人部長の尊い労苦に、私も妻も心から感謝申し上げます。〝絶対無事故で健康・長寿たれ〟〝断じて断じて幸福に〟と祈りに祈る日々です。 誠意、誠意、誠意で 嬉しいことに、各地に新しいリーダーも続々と誕生しています。祈って祈って祈り抜く。走って走って走り抜く。誠意、誠意、誠意を尽くしていく。新しい人材を育て伸ばしながら、新しい広宣流布の拡大を、私と一緒に開こうではありませんか。 もちろん、長い人生ですから、決して順風満帆な時だけではない。会社の倒産や突然のリストラ、農漁業では凶作や不漁の時もある。さらに病気や災害、不慮の事故など、「もう駄目だ!」と思うような絶体絶命の苦境に直面することもあるかもしれません。 しかし、妙法は「蘇生」の力です。「苦をば苦とさとり」と仰せのごとく、一切を御本尊に訴え、師子吼の題目を唱え抜いていくならば、わが生命の仏の力用が発動し、断じて勝ち越えていける。それだけの広大無辺の力が妙法には具わっている。宇宙をも包みこむ大境涯を開き、無数の諸天善神を動かせるのです。 仏法には無駄がない。仏眼(ぶつげん)・法眼(ほうげん)で見れば、信心の途上でぶつかる苦悩や課題は全部、意味がある。祈り、戦い、負けずに進んでいけば、あとで振り返つたとき、一番良い方向に進んでいたことがわかります。 恩師は私に「大ちゃん、人生は悩まねばならぬ。悩んではじめて、信心もわかる、偉大な人になるのだ」と言われました。 最強無敵の妙法の利剣を持つ私たちは、不幸を幸福に、宿命を使命に変えることができる。 「苦しみはどんな苦しみでも、必ずわれわれに益するものである」(北御門二郎訳)とは、大文豪トルストイの至言です。 どんな苦難でも来い! さあ、宿命転換の時だ。大境涯を開くチャンスだ──そう腹を決めた人は、一切を幸福への原動力に変えていけるのです。 信心とは、永久に「蘇生」であり、永遠に「復活」の道だからであります。 戸田先生は青年に語られた。 「妙法を受持して、絶望の淵から美事に立ち上がって、生きがいをもって蘇生した学会員が、どれほど多くいることか。 学会は考えれば考えるほど、不思議な団体です。使命を持った教団です。この学会と縁(えにし)を結んだ諸君も、誠に不思議な青年と言わなくてはならない」 どうか、信心を貫く皆様方の生命そのものが「開く」「円満・具足」「蘇生」という「妙の三義」の当体であることを、強く深く確信して、広宣流布の先頭を進み抜いてください。 「自らの主たれ!」 戸田先生は「妙法蓮華経とは、宇宙の一切の森羅万象を包含する一大活動なり」と断言されました。 「妙の三義」とは、この宇宙根源の妙法を持つ人間生命それ自体の偉大さ、無限さを表現した哲理です。 いわば「わが生命は宇宙大なり!」という大いなる讃歌にほかなりません。 天文学の分野では、星が何度も生死を繰り返すことによって、生命は生み出された、という洞察があります。 大海の一滴の水に一切の河の水を納めるように、一個の人間に大宇宙の生命の潮流が流れ込んでいる。私たちの細胞の一つ一つにまで、大宇宙の法則が脈動しているのです。 十五年前、私がモスクワ大学の講演で語った眼目も、「人間は大いなるコスモス(宇宙)である」「人間よ自らの主(あるじ)たれ!」という生命讃嘆のメッセージでありました。 今、SGIの青年研修で、世界中の若き地涌の指導者が来日しております。 SGIは、世界の民衆を結び、青年をつなぎ、一千万の人々に生きがいを贈り、社会を「蘇生」させてきました。まさに平和と幸福のシルクロードを広げゆく、二十一世紀文明の栄光の大行進であります。 「妙」なる大法を持つ我らの人生は、三世永遠にわたる無限の希望の大航海です。 妙法を唱え、広宣流布へ逞(たくま)しく戦えば、「年は・わか(若)うなり福はかさなり候べし」(御書1135ページ)の生命となるのです。 いよいよ「わたしの創立八十周年運動」の幕開けです。 「八」とは「開く」義である。 どうか共々に、妙法を唱えに唱え、正義を語りに語り、生まれ変わったような瑞々(みずみず)しい生命で、勝利また勝利の師弟の劇を勝ち開いていきましょう! 妙法の 力は宇宙の 力なば 何も恐れず すべてに勝ち抜け (聖教新聞 2009.10.22より) |
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| 最終更新 2009年 10月 27日(火曜日) 07:42 |



