| 第13回 日蓮が一門(下) |
|
|
|
| 作者: The Lion King | ||
| 2009年 9月 05日(土曜日) 00:00 | ||
|
「正義」の30年の大勝利宣言
「正義」──。 「われ一人正義の旗持つ也」 昭和五十四年(一九七九年)の五月五日。世界に開かれた横浜港を望む神奈川文化会館の一室で、私はこう認めました。 当時、東京、神奈川はもとより、関西、四国をはじめ全国各地から幾多の同志が〝一目でも〟と、横浜の私のもとへ駆けつけてくれました。 以来三十年。私は今、全国そして世界の同志とともに、「正義の大勝利宣言」を高らかに響かせたいのであります。我らは勝ちました。 正義の人への嫉妬 日蓮大聖人が立宗されてより、「日蓮が一門」の旭日の大興隆を目の当たりにした、鎌倉幕府を中心とする日本社会の反応はどうだったでしょうか。 法華経は尊い経典だ。かりにそう認めても、大聖人は妬(ねた)ましい! 当時諸宗の邪僧らは、こう怨嫉しました。 法華経第一という「正義の法」には敵わない。それならぱ、大聖人という「正義の大師匠」を陰謀によって陥れ、抑え込もう。これが当時の日本の宗教界と幕府権力の結託のどす黒い心理だったのです。 戸田先生もよく慨嘆(がいたん)されていました。 「人間は嫉妬で狂う動物だ。歴史上、嫉妬の讒言(ざんげん)が、いかに多くの正義の人を苦しめ抜いてきたことか。これが現実だ」 大聖人は、正法迫害の構図を鋭く見抜かれ、達観されていました。 ますます大難が競い起こることを覚悟された上で、あえて御自身の名を高々と名乗られながら、「権門をかっぱと破り」(御書502ページ)、「諸宗の人法共に折伏して」(同504ページ)、邪義に染まった日本社会の精神土壌を揺り動かしていかれたのです。 弟子の「聞法下種」 この大聖人の御名を語り広げることは、そのまま南無妙法蓮華経の大白法を広げる「聞法下種(もんぽうげしゅ)」の拡大となる。師匠の名を叫び切っていくことこそ、弟子の誉れある闘争なのです。 師匠の烈々たる慈悲の炎にふれて、四条金吾や富木常忍、南条時光をはじめ、求道の血潮に燃える門下たちは「私は日蓮大聖人の弟子である!」と力強く叫びながら、正義の法戦に奮い立っていきました。 反対に、師匠の名を叫び切れない弱い姿は、弟子としての敗北です。いな、師弟の魂を失った姿です。 「日蓮が一門」においても、大聖人滅後、臆病にも師匠の名を叫び切れない堕落の弟子たちが正体を現しました。日興上人以外の五老僧は、師匠が亡くなると、たちまちに惰弱な本性をさらけ出した。 「天台沙門(てんだいしゃもん)」(天台の弟子)と名乗り、大聖人の御書をすきかえしにして、大事な教えを捨て去っていった。 「日蓮が一門」の命脈を自ら断ち切り、師弟の道から転落していったのです。 戸田先生は喝破されました。 「五老僧も、大聖人が生きておられた時には南無妙法蓮華経を弘めなければならないと思っていたけれども、大聖人滅後においての大圧迫の時には、おっかなくなってしまった。そして『われわれは天台沙門だ』といったのだ」 その中で、日興上人ただお一人が「日蓮聖人の弟子日興」(武家や公家への申状)と高らかに宣言し、堂々と師匠の正義を訴え抜かれました。そして、師匠に違背した「強敵の科」を猛然と呵責されたのです。 この日興上人の大闘争こそ、真正の弟子の鑑であります。 どこまでも師匠を求め抜き、師匠の名を叫び、師匠の真実を訴え抜いていく以外に、仏法正義の命脈を広げゆくことはできない。 師匠に打ち込んでいただいた折伏精神を失い、世間に迎合して、広宣流布の和合を破壊するような五老僧の末流とは、断固として戦い抜くのです。 「分身」として戦う この日蓮大聖人・日興上人の師弟の血脈を、現代にまっすぐ継承し、世界へ広げてきたのが創価三代の師弟であります。 『創価教育学体系』の初版本の表紙には、題字とともに、牧口常三郎先生の御名前が燦然と輝く金文字で刻印されておりました。これも、発刊の一切を支え抜いた戸田先生の赤誠の発露だったのです。 獄中で殉教された牧口先生の分身として、戸田先生は「よし、いまにみよ!(牧口)先生が正しいか、正しくないか、証明してやる。もし自分が別名を使ったなら、巌窟王の名を使って、なにか大仕事をして、先生にお返ししよう」と、戦後の焼け野原にただお一人、立ち上がられました。 牧口先生の御逝去十年を期して、先生の『価値論』を、戸田先生と御一緒に、約五十力国・四百二十を超える世界の大学・学術機関に寄贈していったことも忘れ得ぬ歴史であります。 戸田先生は「牧口先生の御著作を世界の名著として宣揚していかねばならぬ。これでも読まぬか! これでも学ばぬか! と戦っていくのだよ」と語られていました。 師の名を世界に宣揚した誇り!
「先生、先生」と叫び その戸田先生の事業が蹉跌(さてつ)したとき、学会は最も苦しい厳冬の時代にありました。 昭和二十五年(一九五〇年)八月、戸田先生は突然、学会の理事長を辞任された。信用組合の業務停止命令によって、学会と学会貝に迷惑をかけられないとの御心からでした。 私は、戸田先生の多額の負債の返済を一身に背負い、破綻した事業の清算に、一切をなげうって東奔西走しました。真剣勝負以外の何ものでもなかった。 戸田先生に対して批判・中傷の嵐が吹き荒れるなか、私自身も「今こそ御書を色読する時である」「いよいよ、これで本物の信心ができる」と心から確信しました。 私の師匠は戸田先生以外におられない。先生をお守りし、創価学会の会長になっていただくことが弟子の道である──。こう決めきって、文字通り、死に物狂いでした。師匠と生死をともにする覚悟でお仕え申し上げたのです。 昨日まで先生を尊敬するように振る舞っていた者たちが、手のひらを返すように先生を罵倒し去っていきました。「いざという時に、その人間の本当の姿が如実に出る」と先生が言われていた通りでした。 先生は、「おれには大作しかいなくなったな」とつぶやいておられました。 この時、私はただ一人「戸田先生、戸田先生」と叫び続けた。師匠の名前を呼ぶ。叫ぶ。それが根本の大事だからです。 やがて、一人また一人と、真実の同志が私の声に呼応し、「戸田門下生」としての自覚が会内に高まっていきました。その皆の心の高まりによって、昭和二十六年(一九五一年)五月三日、戸田先生は晴れて第二代会長に推戴されたのです。 私は日記に綴りました。 「先生を護ろう、力の限り。先生を護ろう、吾が生命のある限り。理由は、唯一つ、先生を護ることが、大御本尊流布を護ることに通ずるからである」(昭和二十七年十二月十八日) この真情のままに、私は恩師の分身として、妙法の巌窟王として戦いました。真の師弟不二でした。 戸田先生は、「お前がいて幸せだった。素晴らしい弟子をもって嬉しい。忘れないよ。おかけで今日がある」と言われていました。 誰が何と言おうが、学会は師弟の団体です。私は、世界中どこへ行っても、戸田先生、牧口先生のことを誇り高く宣揚してきました。それができない心は臆病です。卑怯です。忘恩です。 仏勅の「創価の一門」を護れ
獅子は勝者の栄冠 今や、北南米をはじめ世界の随所に、牧口先生、戸田先生の名を冠した通りや橋、公園なども誕生しています。両先生は、平和と人道のために戦った二十世紀の偉人いとして、市民からこよなく尊敬されております。 これも、、私と心を合わせて創価の師弟の大道を晴れやかに歩まれる敬愛するSGI(創価学会インタナショナル)各国の同志の、光り輝く社会貢献のおかげであります。 「牧口常三郎」「戸田城聖」という創価の大師匠の名を、全世界に向かって堂々と叫び、人々の心に語り広げてきたことは、私の永遠不滅の誉れであります。 私は〝盾〟となり。〝防波堤〟となって、恩師をお護り申し上げました。そして、この六十余年間、仏様の連帯である「創価の一門」を厳護し抜いてきました。 創価の師弟は、あらゆる誹膀・攻撃の矢面に立ち、内外の魔性を抑えながら、功徳と友情と平和の大城を、世界百九十二力国・地域に広げてきたのです。 この正義の大闘争と勝利の大実証こそ、「日蓮がごとく」「日蓮が一門」と叫ばれた大聖人の正統の証しであると確信しております。 「願くは我が弟子等は師子王の子となりて群狐に笑わるる事なかれ」。この御聖訓を、私は我が後継の青年たちに、万感の期待をこめて贈りたい。 仏法は「師子王の哲学」です。 牧口先生は師子でした。戸田先生も師子でした。私も師子として戦い、勝ってきました。 師子は絶対に負けない。小賢しく策を弄(ろう)して動くのではない。師子とは、堂々たる「勝者の栄冠」なのであります。 ゆえに若き皆さんも、畏(おそ)れなく、群狐を打ち破る強力な師子と育ってほしい。 青年らしく、正義を師子吼していくことです。創価の真実を、命の底から叫んでいくのです。「学会青年部の力を見よ!」と、信仰の偉大さを満天下に示し切っていくのです。 「一(ひとつ)の師子王吼(ほゆ)れば百子(ひゃくし)力を得て諸(もろもろ)の禽獣(きんじゅう)皆頭七分にわ(破)る」(御書1316ページ)と仰せの通り、一人が師子吼すれば、善人の励みとなり、悪人は恐れおののくのです。 とにかく語ることである。「声仏事を為す」(同708ページ)だからです。言論戦です。語った分だけ、言い切った分だけ、叫び抜いた分だけ、仏縁は結ばれ、正義は拡大する。 戦った人ほど、強く聡明になれる。これが仏法です。 まず自分自身が変わることです。師弟の正義を叫びに叫べば、その一点からすべてが変わる。日々、自分が変わり、周囲をも変えいくことができる。 「師子は値いがたかるべし」であります。 値い難き師子王の師匠と、不思議にも今世で巡り会い、広宣流布という人類救済の大聖業へともに進むことができる。これが、どれほど崇高な人生であることか。この学会とともに歩んでいることは、決して偶然ではありません。 皆様方は、深い深い使命を帯びて、この娑婆世界に出現された、尊貴にして宿縁深厚なる地涌の菩薩であられます。 「日蓮が一門は師子の吼(ほう)るなり」(同1190ページ) 我らこそ、この御金言を体現した仏意仏勅の一門なのです。 米ガイヤ博士 「SGIの民衆運動に 人間主義の開花を見た」
5・3元初の誓願 戸田先生は語られました。 「私は、信心には自信がある。不肖な私だけれども、日蓮大聖人様のお使いとして、七百年後の今日きたのでありますから、創価学会なんてインチキだ、でたらめだというなら、言わせてやろうではありませんか。どんな結果になるか。断じて負けません」(昭和三十二年二月、東京・豊島公会堂での本部幹部会)と。 さあ、若き君たちよ、新しい時代を開こう! 新しい人材を見つけよう! 断固勝って、正義の勝鬨(かちどき)を、天高く轟かせてくれ給え! 今や、世界の超一級の知性が、我ら「創価の一門」を賞賛されております。米・アイダホ大学のガイヤ博士は、こう讃えてくださっています。 「個人の善を社会の善へと発展させるためには、指導者の存在が不可欠です。師匠の姿に学び、自身を開き高めゆく民衆の連帯があって、はじめてそれが達成されるのです。 これを人類が共有する価値観としていかねばなりません。この人類意識を持って私たちは〝ヒューマニズム(人間主義)の文化〟ともいうべき新たな文化を、未来へ創造していくことが可能となるのです。創価の師弟の交流に、その確かな開花を私は見ました」──。 まもなく、晴れやかな師弟栄光の「五月三日」。今再び「元初の誓願」を胸に燃え上がらせ、私とともに、新しき勝利の大前進を開始しようではありませんか。 師子王の 心と心の スクラムは 三世に悠然 恐るものなし (聖教新聞 2009.04.24より) |
||
| 最終更新 2009年 9月 05日(土曜日) 13:30 |



